学力と幸せは関係ないよ

教育事業は大きく分けて「受験」か「not受験」に分けられます。

そしてnot受験に取り組んでいる人の多くは、その人なりの教育に対する問題意識があるといってよさそう。

かくいう私のその1人ですが、私の問題意識はおおむね

1.いろんな豊かさがあっていいよね(多くの人が幸せの基準と思い込んでいるものを押し付けないで)

2.学びが嫌いになる子があまりに多くて、それが残念すぎる。なんとかしたい。

の2つです。

1.については、自由論でいう消極的自由とか、干渉されない自由などと言い換えることもできます。

ギリシャ時代にはリベラルアーツという7つの領域の学問があって、これがまさに人を自由にするための学問。

私が2013年10月から取り組んでいるSTEAM教育は現代版リベラルアーツだと思って取り組んでいます。

先日、こんな出来事がありました。

当社の新卒求人に応募してきた学生がいました。

その学生は3人兄弟で、自分だけが勉強を頑張って良い大学に行ったのです。

『兄と妹は勉強をしたがらなかったので良い大学に行けなかった。それを残念に思っている。自分と同じように勉強をしたら良い大学にいけたのに。

だから、子供のうちから勉強に向かう習慣や学力をきちんと身につけさせたい。それをヴィリングでやりたい。』

この話を聞いて違和感を持ったので、こう聞いてみました。

「確かに兄弟の中であなたは勉強ができて、学歴も高い。でも、だからと言ってあなたが兄弟で一番ハッピーな人生なの?」

本人は、「良い大学にいけたことでチャンスが大きいからハッピーだと思うけど・・・」という反応でした。

その学生は評価されることが多く、親も自慢の子供だろうと思います。

学歴も良いので希望の会社や仕事に就ける可能性が高い。その努力をしてきたことも素晴らしい。

しかし、それと人の価値や幸せは関係ない。

もし仮に、この人が兄弟二人に劣等感を感じさせるようなコミュニケーションをしていたり、心の中でそのような意識を持っているなら、個人的には好きではないタイプ。

ヴィリングでもそんな意識をもって子どもたちや保護者と関わってほしくはありません。

勉強はできた方が良いけど、できないからといって悪いわけじゃない。

勉強できる人が、できない人に劣等感を感じさせるような関わり方はすべきではない。

学力が高いことに誇りを持つのは構わないが、学歴が低い人に対して「私の方がすごいでしょ」と思い込ませようとするのはやめてほしい。

学校で過ごす時間が圧倒的に多い子供たちにとって、学校の評価基準が人の価値と錯覚しやすいでしょう。

でも仮にいま狩猟時代だったとしたら、足が速い人や弓矢をうまく扱える人が優越感を抱きやすくなるということ。

社会で活躍できる度合いは変わるかもしれません。

だからと言ってハッピーの度合いや人としての価値が変わるものではない。

時々、学力が低いことを自ら卑下したり、自分に自信がない態度をとる子供がいますが、それは決して悪いことではないと思ってほしいです。

学歴や成績表と幸せは、関係ないのです。